「痛み」は、個人的感覚であり、他人と共有することのできない感覚です。
痛みがあれば、不安になる、気持ちがふさぐ、やる気がでなくなる、のは、当たり前のことです。
痛いという感覚と、それに伴う不快な気持ちを含めて「痛み」というからです。
痛みの感受性は、個人差があります。
同じくらいの痛さでも、それをどう受け止めるかは、各人各様であり、「とても辛くてどうしようもない」という人もいれば、「少し痛いけれどまだまだ困るほどではない」という人もいる、ということです。
このように、痛みは、個人的感覚で、かつ、他人(自分以外の人)の痛みがどの程度かを正確に知ることが、極めて難しいものです。
そして、その痛みによって、その人が、どれほどのダメージを受けているかを知ることは、さらに困難です。
患者さんの訴える痛みを、治療者がどう受け止めるかは、非常に重要なことです。
治療者は、患者さんの訴える痛みと不快感覚をしっかりと受け止める必要があります。
治療者が、「そのぐらいで、おおげさだな」などと、少しでも思ってしまったら、そもそも治療行為が成り立たなくなります。
痛みの感じ方と、それに伴う気持ちの変化は、患者さんだけが感じるもので、故に、患者さんの感じる痛みが唯一の真実です。
その患者さんの痛みを痛みと認め、共感し、患者さんの苦しみに理解を示す、ところから、治療行為はスタートします。
患者さんが「痛い」と言ったら「痛い」のです。
それを受容する義務が、治療者にはあるのです。